経営とは想いの実現
①利益追求と社会貢献は表裏一
あらゆる企業の本質的な目的は ”利益追求” と ”社会貢献” です。
どちらが先、どちらが後ということではなく、その2つを表裏一体としたものが企業の真の目的です。
利益がでるということは、つまりそれだけ社会貢献性の高い商品、サービスを世に提供しているということであり、社会貢献性の高い商品、サービスを提供しているからこそ、この経済社会で命の次に大切な ”お金” を対価として頂戴することができるのです。
このように、利益追求と社会貢献は、企業目的やその活動において表裏一体でなくてはなりません。
ひと昔前までは「利益がでるからこそ税金を納めることができ、社会の構成員たる従業員に給与を支払い、従業員を含めた家族の生活を成り立たせることができる。これらが社会貢献であり、即ち利益が出てこその社会貢献、だから利益が先で社会貢献が後だ」という考え方が主流でありましたが、今となってはそうした偏狭な考え方は通用しません。
こうした狭い考え方に陥りながら生産性を高めることに躍起になるからこそ、コンプライアンス問題が後を絶たなくなるのです。
②方向性は一見真逆だが表裏一体、それが企業目的
さてここで注意すべきことは、利益追求と社会貢献は、いってみれば方向性が真逆であるということです。
その真逆な方向性を表裏一体として融合、目的化して、活動していくのが企業活動の本質であり、故にそれは高度で社会的に価値ある活動として認識されるわけです。
そして一般に企業目的は、利益追求と社会貢献をどのように行っていくのかという表現様式で、”企業理念” によって明文化されています。
③欧米型がカッコいい? 日本が元祖です。
ところで、目的とは最終到達地点であり、即ち意義(そこに辿り着くために存在、活動するという意義)を表します。
それぞれの企業が最終的にどこに辿り着こうとしているのか、なんのために存在しているのか、どういう分野でそれを実現しようとしているのか、どんなこだわりをもってそれを成し遂げようとしているのかについて、本質的な企業目的を踏まえつつ企業輪郭を鮮明化する方向で企業理念(より詳細化されると全体の理念体系を ”企業理念” という場合もあります)は構築されます。
しかし日本の企業の場合、社会と共に永続することを前提にして設立、存在していますから、最終到達地点の状態を明言したり、その納期を切ることができません。それでは ”終わり” を意味してしまい、永続性に反し、同時に日本では社会から信頼が得られないのです。
それに比べて従来の欧米型の企業ですと、単なる投機対象事業として短期間に株価を上げ、創業者利益やそれに準じるものを得ようとして企業が設立されることも多くあります。この観点で、欧米型の企業と日本企業は一線を画しているのです。
因みに今、欧米の企業がこぞってミッションやらビジョンやらを体系化して社内外にアピールするのは、日本企業の理念経営(理念に基づく経営とそのための事業、活動)が優れているからで、それを真似ているに過ぎません。背景としてはSDGsに代表される ”持続可能性”、そのための ”調和”、ベースとなる ”倫理観” が求められていて、投機目的に偏った事業立ち上げや会社設立、運営が許されなくなりつつあることが挙げられます。
ところが横文字好きの日本のビジネスパーソンは、その横文字部分や欧米ナイズされた体系構造を逆輸入して、いかにも先進的で真新しい趣きとして、それらアピールするようになってきました。それはそれで日本人のおもしろいところであり、大らかさであり、柔軟性であると理解しましょう。或いは若い労働力に対して、企業としての先進性の訴求をポーズしているという見方もできるかも知れません。
④企業理念とビジョンと計画と目標の連環
さて日本企業の経営は、そもそも社会と共に持続的発展を遂げていくことを前提にしていますから、活動の ”エンド” を明言することができません。よって企業目的たる企業理念の表現は「未来永劫、ある方向性を追求し続ける」というような塩梅となります。
すると納期や状態表現に具体性を欠くものですから、とても崇高で美しい表現になり、故に現場第一線の繁忙感溢れる業務対応に奔走している従業員の皆さんには響きにくくなるのです。そしてだからこそ、自らの担当業務にそれを落とし込みにくく、目の前の業務と繁忙感からの脱出に躍起となっている状態から抜け出せなくなってしまうのです。
そこで企業は、その崇高で美しすぎる理念や理念体系に具体性を持たせ、行動の手掛かりを得やすくしようと「中長期経営計画(今では短期ビジョン、中期ビジョンなどの名称が一般的)」を策定し、数年後の会社の具体的状態や業界での位置づけなどを数値を交えて明確化するのです。
但し、それが独り歩きしてしまって、本来の企業理念から逸脱していってしまうといけません。それらは常に企業理念とセットして語られなくてはならないのです。つまり企業理念を追求していく先で、数年後にはこういう状態になっているという具体的状態が中長期経営計画であり、中長期ビジョンなのです。
そしてそこに辿り着くために、単年度毎に中間ゴールが設定され、その単年度毎の中間ゴールを確実にたどり続けていくために半期、四半期毎の中間ゴールが、またそこに確実に辿り着くために単月の、そして週毎の、日毎の中間ゴールが設定されるのです。つまりこれらが目標です。
⑤理念体系の明確化は行動レベルまで一気通貫に
目的のために目標があります。最終到達地点に確実に辿り着こう、つまり確実、着実にそれを追求していこうとするための中間ゴールが目標なのです。
言ってみれば、ビジョンと整合性を為す企業理念こそが ”想い” であり、それを実現するために各種細分化された中間ゴール、つまり目標があり、その目標に沿って具体的に活動することが企業活動ということになります。そしてそうした真っ当な企業活動を保全、保障していくことが経営なのです。
企業活動を担う従業員一人ひとりが、そうした「想い→行動」を一気通貫且つ直感的に把握していないと、企業活動はエネルギー分散していくことになります。
従ってそのことによって目標の未達、未解決課題の次々の山積、コンプライアンス問題の多発、そして症状が更に悪化すると企業魅力の減退、早期離職、採用難などの症状を呈していくこととなるのです。
そうした最悪のシナリオを辿らないためには、内外から共感を得やすい進むべき価値ある方向性、そしてそこに向けたこだわりなどを明確化し、マイルストーンを定め、日々それに沿ったチェック、評価、行動修正をしていかなくてはなりません。
そうです。経営とはそうした「想いの実現」なのです。
企業教育の王道は O.J.T.
①織りなす想いを実現するための “社員教育”
企業理念ベースのビジョンや目標体系といった想いを実現するのが経営だとすれば、そのために必要となる導きや、能力開発が社員教育ということになります。
その社員教育の王道は O.J.T. にあります。
利益追求と社会貢献をベースとした「こうしたい」という想いは 、先述の通り企業理念やビジョン、目標体系に明確化されています。
しかし経営拠点毎、事業毎、或いは担当業務毎にとりまく環境はどんどんと変化していきます。
従ってその変化に対応、対処していかなくては想いを実現することはできません。
そのためにどうしたいのかという ”想い” が、経営課題、事業課題、業務課題ということになります。
つまりこれらの課題を克服しながら、そもそもの大きな想いを実現するために実施するのが社員教育なのです。
これらは通常、業務に関する個別の報告・連絡・相談や指導、ミーティングや会議、朝礼などのシーンで実施されるのが一般的です。つまり O.J.T.(On the Job Training)です。
②脈を診ながら価値観の歪みを正す
ところが O.J.T. が単なる指示・命令になってしまっていて、結果、教育になっていないケースがままあります。
教育とは「教え」「育む」ことです。基準や基準からの逸脱を指示、指摘したり、基準通りの成果を収めるためのやり方を指示するだけなら、それは「教える」域を脱しません。
教えるだけなら簡単です。教えようとする相手よりも知識量が多ければ誰でもできるのですから。
教えることと育てることは違うのです。
教え育てるためには指導が必要です。指導とは「指し示し」て「導く」ことです。
導くという漢字は、「交差する路の真ん中、つまり分岐点で、相手の脈を診ながら、上手に相手を進むべき方向へと誘う」という象形と会意によって成り立っています。重要は「相手の脈を診ながら、正しい方向に上手に誘う」ことであり、つまりそれは「動機づける」ということです。
教育には指導が、指導には動機づけが不可欠なのです。
”しんにょう" は "道" を、"首" は "頭髪の下に目" で "頭" を表している。また "寸" は "右手で左手に触れ脈を診る" ことを表している。つまり「導」とは、分岐する道の真ん中(交差点)で、相手の脈を診ながら、即ち相手の様子を窺い、相手の気持ちを理解しながら、そのうえで相手を望ましい方向へと首(頭)が向くように仕向けることを意味している。「相手の脈を診ながら好ましく影響を与える」からには、そこには動機づけという要素が多分にあることを心すべき。
指導と単なる指示命令とでは、核心部分がまるでちがう。
そして動機づけるためには、前提として相手の動機が生じるベースとなる価値観を理解しておくこと、また価値観の歪みがあれば、それを正すべく刺激や情報提供をすることが大切になってきます。
貴社の O.J.T. には、真の意味での教育の要素が担保されていますでしょうか。日頃の O.J.T. には指導、動機づけ、価値観の精査と矯正などが混然一体になって織り込まれている必要があります。もちろん流行りの横文字でいう”コーチング”の概念や手法はこれらに向けられなくてはなりません。
そうした真の O.J.T. 要素が脆弱化或いは欠落してしまって、結果、宝(人財)であるべき従業員の皆さんを、業務を捌くためだけの人材に貶め、個性や創造性、問題解決能力の育みを機能不全化してしまっている職場や会社が散見されます。その延長線上で従業員の皆さんのマインドや価値観が歪んでいってしまうのです。あなたの会社は、そういう組織文化になっていませんか。
③指導者の最大の責務は人を育てること
当社の教材には ”十ヶ条シリーズ” なるものがあり、その中の一つに ”指導者十ヶ条” があります。その第十条をご紹介差しあげておきます。
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人を育てよ。指導者のなすべき教育の最たるものは尊厳教育である。「人としていかに生きるか」だ。仕事はそのためのツールであると考えよ。よき指導者からは次代を担う指導者が生まれるものと心に刻め。
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指導者の仕事は人を育てること、そのことによって未来を創ることです。
ライフワーカーズの研修では、指導する側とされる側、両階層の意識改革、言動改善を通じて、日頃の O.J.T. の成果を最大化します。
日頃の O.J.T. に教育、指導、動機づけ要素が担保できなくなり、単なる指示命令に終わってしまっていると、指導を受けるべきはずの対象者のマインドや価値観がいびつ化してしまいます。こうなると、もはや指導する側ばかりの指導力トレーニング(管理者教育や指導者教育)だけでは O.J.T. 機能の回復はできなくなってしまうのです。実はこうした状況がままあるのです。
企業教育の王道は O.J.T. にあります。
外部教育(Off-JT)に依存、丸投げして、自社の O.J.T. 機能を軽視していると、企業理念は形骸化、企業文化は荒廃、もちろん企業としての成長、存続は危うくなります。私どもと一緒に、企業教育を再構築しませんか。