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代表講師プロフィール

業界名物講師の菅沼。こう見えても還暦です。菅沼が生きているうちに一度研修を体験してみませんか?
…と菅沼が言っております。

1963年8月。東京生まれ。祖父は西海学園高校( 長崎県 )の創立者、父親は 旧小西六写真工業( 現 コニカミノルタ )の営業部長を経て関連会社社長。帝王学教育の一環で、小学校3年生時から毎年一人旅に出されて育つ。この教育が奏功したのか度を越す逞しさを身につける。中学校時代から準備を進めて高校進学時には両親を説得して独立を果たす。働きながら高校へ進学、そして、縁あって芸能の世界で活動を始め、東京放映芸術学園に進みアクターズメソッドや舞台演出などを修める。多感で波乱万丈な青年時代を過ごす。

18歳からはホテル業界へと進み、東京のプリンスホテルグループでサービスマンからスタート。やがて日本ホテル研究会の関係で、当時ホテル・オークラの専務、副社長を歴任していた橋本保雄氏に可愛がられ、また勤務先の関係では当時富士屋ホテルチ

ェーンの専務総支配人だった山口祐司氏、富士屋ホテルチェーンの経営母体となっていた国際興業社主夫人の小佐野英子氏に可愛がられ、ホテルビジネスに傾倒していく。そして橋本氏の口癖でもあった「感動を売る職業」であるホテルマンの指導育成に意気を感じ、更にのめり込んでいく。既に修めていたアクターズメソッドや舞台演出の技法を独自に改良して新人トレーニングを実施し、評価を得始める。

22歳で会員制リゾートホテルを全国展開するリゾートトラスト( 愛知県 )の教育担当としてスカウトされる。全国展開している各地ホテルのスーパーバイザーとして、また毎年のようにオープンする新規開業のハイクラスホテルのスタッフ採用と教育、その他全社的な職種別、階層別の教育に携わるようになる。そして、採用教育担当者として大きな予算を任されるようになり、とりわけ教育分野では各方面で著名な専門家をコーディネイトしながらノウハウ蓄積をする幸運に恵まれる。この際、元ホテルオークラ教育担当で当時 株式会社ホスピタリティトレーニングテクノロジー 代表取締役の桐木元司氏、元産業能率大学講師で後に管理者養成学校講師も務めた企業組織論の大家である須田一郎氏らに師事。また元松下電器産業株式会社の技術主査で、後に株式会社脳力開発研究所の代表取締役、潜在脳力開発の大家である工業博士 志賀一雅氏の薫陶を受ける。もちろん採用や面接のノウハウも蓄積。採用担当者としては九州地区を担当して、毎年7月中旬から9月まで、島しょ部を含めて九州全土の高校訪問を実施、熱弁をふるい、先生がたを口説きまわる。

1994年4月。当時の直属上司の薦めで31歳で独立。個人事業として社員教育のコンサルタント事業を開始。自ら営業しながらホテル・レストラン業界、エステ業界、警備保障業界で社員教育の案件をこなしていくが、中堅家電メーカーから大口のコンサル案件を頂き、指定地域で直販営業部隊を育成して営業所を立ち上げる機会に恵まれる。学校生協とタイアップしながら三重県を拠点に2年間活動。タスクを果たす。

1996年2月。33歳のとき、リゾートトラスト時代に全国のホテルの立ち上げでご一緒した、別の恩ある上司から引き合いがあり、休日は個人事業のコンサルタント、平日は当該旧上司の部下として二足の草鞋を履くことに。住宅事業、ホテル事業、スポーツ事業、福祉事業などを展開するフジケングループ( 愛知県 )の本社部門にスカウトされ本社経営企画部に配属される。折しも住専問題で住宅販売各社に厳しさが増していた頃、先見の明ある社主が「人材改革」「商品改革」「CS改革」の3改革を打ち立て、うち「人材改革」「CS改革」の中心メンバーになって欲しいとの依頼。従って "共に血を流す立場" で内部に入り込むことが求められ、最長10年間という約束で、総合生活企業を標榜する企業グループでの諸改革に携わる。企業文化刷新のための新卒定期採用の開始・グループ一括での新卒採用の開始・新卒採用の不動産営業職育成開始・女性営業職採用の開始・パートタイマー採用と戦力化の開始・CS専門部署の立ち上げとCS事業の開始・グループ理念の策定・インターネットを使った全国採用の開始・自社講師による定期的な教育研修開始・新教育体系の構築と運用・目標達成管理制度とコンピテンシー評価による新人事評価制度の構築と運用・福祉事業立ち上げ時のスタッフ教育・新規ホテル立ち上げ時の開業教育・社内ベンチャーの立ち上げなどを提言、実施し、また各事業分野での専門人材採用、教育などを担当、その他グループ全社の諸々の問題解決、課題実現に携わる。

2004年9月。41歳で関連会社社長に就任。更に2007年1月。独立資本で社員教育のコンサルタント会社「株式会社ライフワーカーズ」を設立。フジケングループ関連会社社長を辞任して一部事業を継承、新会社社長に就任。今日に至る。もちろん入社当時から10年後のビジョンとして再独立の約束を頂いていたので円満に事業継承を果たす。以後はフジケングループもクライアントの1社となり、不定期だが社員教育のお手伝いも実施。

大手企業を含む数社で25年に及ぶ企業教育、採用人事業務を経験した強みを活かし、実践的、効果的、そしてユニークな教育研修を全国の企業、団体で展開して好評を得ている。また人材活性、組織活性に向けた仕掛けや体制づくりについてコンサルティングを手がけている。一方、学校や公共団体などにおいて、若年者の心路指導、就職指導の観点で多くの講演や執筆活動も行っている。

企業第一線の現場感覚をベースに独自に編み出した職種や階層別の十ヶ条講座、汎用理論を応用発展させた企業組織論講座(マネジメント論)、更にホテルマン時代に培った接客感性をミックス、応用、発展させたホスピタリティトレーニング講座(サービス論、CS論、接客訓練)、心理学ベースのメンタルマネジメント講座や創造性開発講座など特色のある教育ソースを持つ。これに情熱的だが大らかなキャラクターが相まって、教育研修の現場では独特の世界観を醸し出している。つぼにはまる研修生が続出。

趣味はキャッチ&イートの釣りとキャンプに、寺社散策を含めた歴史探訪の旅。音楽は、ジャズ系は4ビート、クール、モダン、スィング、ボサノバが、クラシック系ではバロック、室内楽が趣味。青年期はトランペット演奏でライブハウスに出ていたことも。4女の父、5人の孫の爺。

著書に中部経済新聞社出版「若者たちへの心路指導」。新聞、専門誌などに不定期で連載または単独寄稿。

業界名物講師の菅沼。こう見えても還暦です。菅沼が生きているうちに一度研修を体験してみませんか?
…と菅沼が言っております。

1963年8月。東京生まれ。祖父は西海学園高校( 長崎県 )の創立者、父親は 旧小西六写真工業( 現 コニカミノルタ )の営業部長を経て関連会社社長。帝王学教育の一環で、小学校3年生時から毎年一人旅に出されて育つ。この教育が奏功したのか度を越す逞しさを身につけた。中学校時代から準備を進めて高校進学時には両親を説得して独立を果たす。働きながら高校へ進学、そして、縁あって芸能の世界で活動を始め、東京放映芸術学園に進みアクターズメソッドや舞台演出などを修める。多感で波乱万丈な青年時代を過ごす。

18歳からはホテル業界へと進み、東京のプリンスホテルグループでサービスマンからスタート。やがて日本ホテル研究会の関係で、当時ホテル・オークラの専務、副社長を歴任していた橋本保雄氏に可愛がられ、また勤務先の関係では当時富士屋ホテルチェーンの専務総支配人だった山口祐司氏、富士屋ホテルチェーンの経営母体となっていた国際興業社主夫人の小佐野英子氏に可愛がられ、ホテルビジネスに入れ込んでいく。そして橋本氏の口癖でもあった「感動を売る職業」であるホテルマンの指導育成に意気を感じ、のめり込んでいく。既に修めていたアクターズメソッドや舞台演出の技法を独自に改良して新人トレーニングを実施し、評価を得始めた。

22歳で会員制リゾートホテルを全国展開するリゾートトラスト( 愛知県 )の教育担当としてスカウトされる。全国展開している各地ホテルのスーパーバイザーとして、また毎年のようにオープンする新規開業のハイクラスホテルのスタッフ採用と教育、その他全社的な職種別、階層別の教育に携わるようになる。そして、採用教育担当者として大きな予算を任されるようになり、とりわけ教育分野では各方面で著名な専門家をコーディネイトしながらノウハウ蓄積をする幸運に恵まれる。もちろん採用や面接のノウハウも蓄積した。採用担当者としては九州地区を担当て、毎年7月中旬から9月まで、島しょ部を含めて九州全土の高校訪問を実施、熱弁をふるい、先生がたを口説きまわった。

1994年4月。当時の直属上司の薦めで31歳で独立。個人事業として社員教育のコンサルタント事業を開始。自ら営業しながらホテル・レストラン業界、エステ業界、警備保障業界で社員教育の案件をこなしていくが、中堅家電メーカーから大口のコンサル案件を頂き、指定地域で直販営業部隊を育成して営業所を立ち上げる機会に恵まれる。学校生協とタイアップしながら三重県を拠点に2年間活動。タスクを果たす。

1996年2月。33歳のとき、リゾートトラスト時代に全国のホテルの立ち上げでご一緒した、別の恩ある上司から引き合いがあり、休日は個人事業のコンサルタント、平日は当該旧上司の部下として二足の草鞋を履くことに。住宅事業、ホテル事業、スポーツ事業、福祉事業などを展開するフジケングループ( 愛知県 )の本社部門にスカウトされ本社経営企画部に配属される。折しも住専問題で住宅販売各社に厳しさが増していた頃、先見の明ある社主が「人材改革」「商品改革」「CS改革」の3改革を打ち立て、うち「人材改革」「CS改革」の中心メンバーになって欲しいとの依頼だった。従って "共に血を流す立場" で内部に入り込むことが求められた。最長10年間という約束で、総合生活企業を標榜する企業グループでの諸改革に携わる。各事業分野での人材採用、教育などを担当する他、CS事業の立ち上げ、その他グループ全社の諸々の問題解決、課題実現に携わる。

2004年9月。41歳で関連会社社長に就任。更に2007年1月。独立資本で社員教育のコンサルタント会社「株式会社ライフワーカーズ」を設立。フジケングループ関連会社社長を辞任して一部事業を継承、新会社社長に就任。今日に至る。もちろん入社当時から10年後のビジョンとして再独立の約束を頂いていたので円満に事業継承を果たす。以後はフジケングループもクライアントの1社となり、不定期だが社員教育のお手伝いも実施。

大手企業を含む数社で25年に及ぶ企業教育、採用人事業務を経験した強みを活かし、実践的、効果的、そしてユニークな教育研修を全国の企業、団体で展開し好評を得ている。また、人材活性、組織活性に向けた仕掛けや体制づくりについてコンサルティングを手がけている。一方、学校や公共団体などにおいて、若年者の心路指導、就職指導の観点で多くの講演や執筆活動も行っている。

企業第一線の現場感覚をベースに独自に編み出した職種や階層別の十ヶ条講座、汎用理論を応用発展させた企業組織論講座(マネジメント論)、更にホテルマン時代に培った接客感性をミックス、応用、発展させたホスピタリティトレーニング講座(サービス論、CS論、接客訓練)、心理学ベースのメンタルマネジメント講座や創造性開発講座など特色のある教育ソースを持つ。これに情熱的だが大らかなキャラクターが相まって、教育研修の現場では独特の世界観を醸し出している。つぼにはまる研修生が続出。

趣味はキャッチ&イートの釣りとキャンプに、寺社散策を含めた歴史探訪の旅。音楽は、ジャズ系は4ビート、クール、モダン、スィング、ボサノバが、クラシック系ではバロック、室内楽が趣味。青年期はトランペット演奏でライブハウスに出ていたことも。4女の父、5人の孫の爺。研修アシスタントと事務長を務める愛妻と二人三脚で全国を駆け回っている。

著書に中部経済新聞社出版「若者たちへの心路指導」。新聞、専門誌などに不定期で連載または単独寄稿。

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