ホームページリニューアルまでの一部制限について
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新ホームページへの移行に伴う
現行ホームページの一部機能の停止について
~ ライフワーカーズのHP物語り ~
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─ 目次 ─
【1】創業当初のインターネットインフラ
代表の"菅沼"が社員教育事業で個人創業した当時は、ちょうどインターネットのダイヤルアップIP接続サービスが始まった1994年。翌年販売されたWindowsが、初めて商品に西暦下2桁を冠して"Windows95"としたことを覚えています。
1985年に初めてのWindowsが発売されて以来、その頃も、OSはDOS/9系・NT系と、個人向けか企業向けかに明確に分けられていました。なぜか「DOS(ドス)」という語感が懐かしいですね。

もちろん当時はインターネットなるものも、まだ全然市民権を得ていなかったわけで、菅沼にしてみても自分の事業についてホームページで訴求する発想すらありませんでした。
しかしWindows95の普及で、誰もがインターネットを利用できるような環境が整い始め、また阪神淡路・東日本に象徴される大震災、大災害を幾度も経験して、個人レベルのネット利用の価値、必然性、重要性が認識されるようになり、スマートフォンなどの登場、普及も手伝って、今やインターネットの利用率は日本全国民の90%に迫る勢いです。
総務省の最新調査によりますと、20歳以上60歳未満のインターネット利用率は98.5%です(下左図20~59歳までの2019年平均)。
【2】 会社設立当時のインターネットインフラ
そうした大きな時代のうねりのなかで、個人創業から10年後の2004年、それまで事業名称であった「ライフワーカーズ」を社名として株式会社を設立しました。
この年のインターネットの人口普及率は66%。その5年前の21.4%、3年前の46.3%から大いに躍進しています。社会全体でこの数字の推移は、正に奇跡的な変化であり、激変期と言えましょう。老若男女を網羅しての数値でありますから。
因みにこの「インターネット人口普及率66%」ですが、普及率調査にあたっての"普及率"の概念は「過去1年間にインターネットを一度でも利用したことがある人の率」となっていました。また日本でスマートフォンが本格的に販売され始めたのが、その年の4年後(2008年)の "iPhone 3G" からであったことなどから、日常的に頻繁にインターネットを利用できる環境にある人は、そう多くはなかったのではと考える方もいるかも知れません。
しかしあにはからんや、10代後半~30代に限っては、携帯電話の i モード を使ったインターネット接続が当たり前の時代になっていました。 総務省の調べによりますと、この年の13~39歳のインターネット利用率は既に91.1%になっていたのです。ですからごく自然の流れなのかも知れませんが、この年、ミクシィを始めとするたくさんの和製SNSが産声をあげました。
また、この頃既に社会問題になっていた出会い系サイトに関しては、前年(2003年)には「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」などといういかめし法律が施行されていました。ことほど左様に若者を中心にして、有象無象を含めてインターネット文化が浸透していっていたのです。
因みにインターネット利用とイコールということではありませんが、この年の世帯あたりのパソコン普及率は77.5%。そしてこの頃になりますと、既に1世帯に2台以上のパソコンがあり、家庭内ランを構築しているような世帯も登場していました。

まだまだあります。インターネットが社会を席巻し始めた勢いはすさまじく、ITバブルで隆盛を極め今では大企業となった名だたる会社が日夜話題をさらっていました。ライブドア事件然り。楽天のプロ野球進出然り。ヤフーの検索エンジンは1日10億ページビューを突破し、只々恐れ入るばかりでありました。
ITは正に行きつくところまで行き、更に突き抜け、新しい時代をもたらし、私たちは翻弄され、終には支配される日も来るのかも知れないと恐怖さえしたものです。
そしてその前段階で、いよいよ会社の存在実態やそのレベルが、ホームページの「ある・なし」で判断されるような時代が到来するのだろうと、いや到来しつつあると切実な思いに囚われたものです。
【3】 第2の設立当時いよいよ手作りHPの作成に
そしてそれから3年後。 株式会社 ライフワーカーズ を代表"菅沼"の独立資本とした、言わば第2の設立を迎えた2007年のこと。
このとき、インターネットの人口普及率は73%まで上昇していました。もちろん「過去1年間に一度以上利用」基準での73%ですから、老若男女、国民全体としての日常的インターネット利用ということではありませんが、それでもこの年のブロードバンド世帯普及率は50.9%と、初めて全世帯数の半分を超え、家庭内からのPC経由ヘビーユーザーも出始めてきている頃でもありました。そしてこの年、YouTubeは爆発的に利用者を伸ばし、アメリカでは初めて"iPhone"が販売され、来るべきハイパーインターネット時代の幕開けとなったのです。
こうなると時代の潮目は一気に確定モードに突入していきます。既にインターネットは欠かすことのできない社会インフラに育ってしまっていたのです。問題、課題は山積しているものの、もはや私たちはこの流れに逆行することを許されなくなっていたのです。
こうなってしまっては、いくらIT音痴、PC音痴の代表"菅沼"にあっても否応なく、四苦八苦、七転八倒しながら、ようやく手探り、手づくりでホームページ作りに着手せざるを得なくなってしまったのです。
素人が手づくり?・・・と驚かれるかも知れませんが、なにせその頃は、ホームページが「とりあえずある」ことの方が重要で、内容は二の次、三の次でした。当時のホームページは、情報を探しに来た人が、それを適切に得られればそれでよかったのです。またインターネット回線を提供する事業者などからも、無償のテンプレートが数多く出回っていたものですから、これを利用しない手はないといった塩梅でありました。なにせ専門の業者の方にお願いすると、馬鹿にならない金額になるものでもありましたから。