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お客様コード 「 T 8 S 」 組織活性化研修 追加web解説

※最終カリキュラムに向けて、前回と今回の学びをしっかりと腹に落とし込んで頂くため、また最終カリ

 ュラムでの講義時間を少しでも多く確保するため、既習事項又は既習事項に+αの解説を加えればで判

 定可能な設問について、当ページで追加解説をいたします。ご確認下さい。尚、順を追って日を改めな

 がら逐次解説を付加していきますので、定期的にご確認下さい。新たな解説は記事上部に掲載され、

 古いものは順次下方へと掲載されていきます。 [2016.07.06.]



※当ページを使った学習は、一番下に掲載されている設問解説から順に一つずつ上方向に設問解説を辿

  りながら実施して下さい。 [2016.07.11.]


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設問54.[ 2016.07.26. 18:13 UP ]


正答:[〇]


設問系統:リーダーシップ論
        職場活性論(チームワーク論)
        自己成長及び部下並びに配下指導育成論(固定観念の罠)


根拠・・・・・・

職場風土の保全に臨んでは厳しさが必要である。厳しさが足りないと「まあ、このくらいいいか」と無暗な許容を繰り返すようになり、やがては職場ルールが有名無実化し、その結果、職場風土は大きく乱れる。そしてその悪しき風土が職場メンバーに悪しき圧力をかけるようになるから要注意だ。

ではどのようにしてそういうことが起こるのかを考えてみよう。

些細な出来事には単なる小事と、大事に通じる小事とがあるが、大事に生じる小事については是々非々で評価、指摘、指導が必要だ。これは「千丈の堤も蟻の一穴から崩れる」の格言にもある通りだ。しかしこの大事に通じる小事に臨んで職場メンバーの誰もが「敢えてなにもしないリーダーシップスタイル」を採択して見て見ぬふりをしたり、許容したりすると、結果その組織ではその小事を是認したことになってしまうので、その後同じような小事が生じても注意、指摘がし難くなる。

これが続くと、ある日さすがに誰かが見兼ねて注意、指摘をしようものなら、注意、指摘を受けたメンバーにしてみれば「今まで許容されてきたのになぜ今更自分だけが指摘されるのか?」という疑問から、ややもすると「俺に敵意があるのか?」とさえ悪感情を抱かせ、人間関係をも損ね兼ねなくなる。

こうなると、もう誰もなにも言わないようになり、そのうち、基準からずれたことをしている人に指摘や注意ができない気持ち悪さから、他者の仕事そのものを敢えて見ないようにし始め、挙句、他者の仕事に無関心な個人主義の集団と化してしまうのである。これでは到底チームワークを発揮しようもない。

つまり「敢えてなにもしないリーダーシップ」をチームメンバー全員が採択することによって「些細なことには目をつぶる」という職場風土が醸成し始め、それがいつの間にか「指摘をするな」、「周囲に無関心でいろ」との圧力に変わっていき、メンバーの言動を抑制するようになっていくということである。

繰り返すが、職場風土の保全に対しては「厳しさ」が必要である。良いことは良い。悪いことは悪い。是々非々で互いに気持ちよく指摘、注意ができる職場風土を構築せねばならない。

さて真の厳しさとはなにか。それは次の5つの要素を全て備えるときに初めて「厳しい」と言える。


一、具体的であること
 (抽象的にぼやかしてしまわないこと)

二、本質を突いていること
 (枝葉末節の是非ではなく本質的な是非を突いていること)

三、率直であること
 (歯に衣をかぶせたようなまどろっこしい言いようではないこと)

四、私心のないこと
 (自分を偉く見せたり自分の立場を保全しようとする私的な動機ではなく公的な使命感によること)

五、見逃さないこと
 (このくらいいいか...と許容することなく、またついうっかり見逃してしまうこともないこと)


胸に手を当てて振り返ってみよう。表面的な人間関係に惑わされて「好かれたい」という思いに捕らわれ、厳しさが足りていないということはあるまいか?

また、職場メンバー全員が同じリーダーシップスタイルを選択した場合、「本当にこれでいいのか?」と自問自答しているか? 

そしてそれが不可であると判断された場合、嫌われる覚悟で、異なるリーダーシップスタイルを凛として採択しているか?



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設問54.[ 2016.07.26. 15:12 UP ]


正答:[〇]


設問系統:動機付け論(感動のメカニズム・・・十ヶ条解説にて既習)


根拠・・・・・・

期待に応え、それにフィットする対応或いはそれを超える対応をする時に相手は感動する。要求に応えるだけなら、その対応の仕方方が良ければ一応「ありがとう」とは言ってはくれるものの、相手にしてみれば要求したのだから「当たり前」と思っており、その「ありがとう」は一応であるが故にすぐに忘れ去られる。

なにせ人間は要求の背後にその4~5倍の期待が潜んでおり、その期待のうち「これくらいなら求めても悪くはないだろう」という最低限の事柄のみ要求として突き付けるのである。然るにこれに応えるのは最低限であり「当たり前」なのだ。

だからその上を行く対応、相手が「して欲しいこと」を心の内に秘めている段階でそれに気づき、対応することを実践すれば、それは最低限を超えた対応であり、大小の程度の差こそあれ感動を生むのである。

期待対応で相手に感動を提供し続けていけば、相手は自分のファンになってくれる。ファンとは自らの損得勘定を度外視して相手に尽くす存在であり、それは時に親友の定義の一部としても理解される。そんな存在がお客様の中に、そして組織の中にたくさんいたら、これほど心強いものはない。もちろんこれほど嬉しいものはない。

また感動は相互授受されるものである。相手に感動を提供すると、相手も感動を返してくれる。このやり取りを繰り返していくと人間関係に感動の嵐が吹き荒れる。人間の美しさに、人間関係の素晴らしさに開眼することだろう。



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設問50.[ 2016.07.26. 14:48 UP ]


正答:[×]


設問系統:リーダーシップ論


根拠・・・・・・

設問文章は30年以上も昔に語られていたリーダーシップの定義である。現代的なリーダーシップの定義は「ある組織の中で特定の目的、目標に向けられたコミュニケーションの手段を介した対人間関係の影響力である」としている。昔のそれとの違いは、要は職位(立場)に付随した権限機能なのか、個人に付随した能力なのかの違いに集約される。もちろん現代的定義としてのリーダーシップは「個人に付随した能力」であるという見解である。

従ってある一定の職位(立場)になったら経験によってリーダーシップが磨かれていくという考え方はナンセンスであり、個人に付随した能力なのだから、早いうちからリーダーシップ能力を磨いていかなくてはならないということである。一定の職位(立場)になったら自然にリーダーシップがついて来るとのんびり構えている者は、いざその職位(立場)に就いたときに、リーダーシップ能力が欠如しているが故に組織をまとめていくことができず困窮する。



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設問49.[ 2016.07.26. 14:08 UP ]


正答:[×]


設問系統:根本価値観Ⅰ「組織生成論(機能型組織と共同体型組織の価値基準の違い)」
        根本価値観Ⅲ「「企業組織の目標と方針の連鎖」

根拠・・・・・・

企業組織においては目標も方針も上位と連鎖しなくてはならない。

まず全体ありきで、その全体を具現するために下位組織に目標が割り振られ、その割り振られた目標をいかに達成するかの方策については、割り振られた下位組織が考えていかなくてはならない。

しかしその際、必ず上意方針と連鎖し、上意方針の範疇内で方策を発想しなくてはならないのだ。部下は上司の任務遂行を助けるために存在しているのだから、それは即ち下位組織は上位組織の任務遂行を助けるために存在していることになる。下位組織は上位組織の業務の一部分を代行して遂行するのであるがら、自分たちで方策を発想したからと言って、それを勝手にやっていいという論理にはならない。上位組織の代行をするからには、上位組織の承認を得なければならず、当然そのためには上位方針と連鎖した方策でなければ承認を得られよう筈もない。

自組織の方針をメンバーの多数決で決めるなら、それが必ずしも上位方針と連鎖するとは限らない。否むしろ人間は弱くて、情けなくて、だらしのない、放っておいたら低い方へと転がっていきやすいどうしようもない生命体である。自分たちのやりやすいようなやり方、自分たちに都合のよい方針を採択しがちなものである。なにせ多数決の場に上位組織の者が存在しないのだから。



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設問48.[ 2016.07.26. 14:08 UP ]


正答:[×]


設問系統:問題解決論


根拠・・・・・・

問題意識とは問題を積極的に見つけよう、捉えよう、解決しよう、そしてより高みを目指そうとする意識である。その問題には3つの種類がある。直面、発見、創造の3つだ。種類を限定せずに問題意識を包括的に論ずるのであれば、それは広く3つの問題に取り組むために必要な力全てが論ぜられなくてはならない。設問で言う「先見力」や「洞察力」は、創造する問題を取り扱っていくうえでは極めて重要な力である。それを「あまり使うことはない」としているので、当該設問は「×」。

問題解決能力は一つ二つの能力に依拠するものではなく、人間が生まれてこの方身に付け、増幅、増強し続けてきたありとあらゆる力を駆使する「総合力」であり、即ち「人間力」である。



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設問47.[ 2016.07.26. 13:58 UP ]


正答:[〇]


設問系統:自己成長並びに部下及び配下指導育成論(固定観念の罠)
        職場活性論
        コミュニケーション論


根拠・・・・・・

限られたメンバーで判断、行動を繰り返していけば、互いの判断基準や行動基準の理解が進む、いわゆる「枠組みの相互理解」が促進するので、次第に阿吽の呼吸となっていく。このことだけを考えるなら限られたメンバー同士での意思疎通の生産性は向上する傾向にあると言える。

しかし同時に、それは限られたメンバーでばかり判断、行動をしているのだから、それ以外の判断や行動から隔離されているということでもあり、集団での固定観念の罠に陥りやすいことも意味している。

だからそれを未然防止するために、定期的にジョブローテーションや組織改編が行われたりするのである。もちろん未然防止ができなかったので、直面する問題解決としてこれを行う場合もある。



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設問46.[ 2016.07.22. 03:52 UP ]


正答:[×]


設問系統:目標達成管理論(注意すべき目的の特性)
        問題解決論
        自己成長及び部下並びに配下指導育成論(固定観念の罠/他)


根拠・・・・・・

第一基準にするということは、なにをするにも先ず「ミスをしないこと」を念頭に置いて行動するということ。いつもいつも「ミスをしない」「ミスをしない」と呪文のように繰り返しながら仕事をしていけば、早晩仕事の目的は「ミスをしないこと」にすり替わってしまう。目的はすり替わりやすく、見失いやすいものである。よって「×」。

「ミスをしないこと」が目的にすり替わってしまっている人々は、「あなたが仕事を進めていくうえで大事にしていることは何ですか?」との問いに対して、「はい。周りの人に迷惑をかけないことです」などと殊勝なことを言う。すると一見、殊勝に思えるその発言に「まともなやつだ」との判断をしてしまいがちだが、これはとんでもない。全くまともではないのだ。目的がすり替わってしまっているのだから要注意。

こういう人に業務改善の仕事をさせると嫌がる。なぜなら改善ということは、なにか新しいことをやらなくてはならなくなるからだ。この手の人々は、新しいこと、つまりやったことがないことは「慣れていないからミスのもと」と考えるから、当然の如く「今のままでいいじゃないですか」「今のままでもそう大した問題はない筈です」などと訴えてきて、業務進化の抵抗勢力となる。

目的は知らず知らずのうちに個々人の頭の中ですり替わっていく。傍から見ているだけではそれは確認できない。確認できないから注意、指摘もできない。だから突然降ってわいたように大事件が起こったりする。確認できない以上、我々の周囲に「目的がすり替わってしまっている人々」がどれだけたくさん潜んでいるのかわからないのだから、「こんなことわかっている筈」「聞くまでもない」と高を括ってしまうのは危険すぎる。

従って、敢えて色々なシーンで念には念を入れて口頭で確認し続けていくことが大切だ。「なあ、この業務の目的ってなんだったっけ?」「この作業の目的は?」「この会議の目的って?」「この帳票がある意味(目的)って?」「そもそも俺たちはなんのために働いているんだっけ?」等々。

鉄は熱いうちに打て。特に若いうちから「目的」の重要性と危険なその特質を理解、意識させることは大事なことなので、指導する側にはくどいくらいの確認作業が必要である。


ところで、新入社員が仕事の第一基準にすべきはどんなことがらなのだろうか?

それはもちろん「あるべき姿」である。そう。仕事は問題解決である。新入社員であろうと、中堅社員、ベテラン社員であろうと、管理者或いは幹部であろうと、先ず念頭に置いて行動すべきは、今から行う仕事の「あるべき姿」である。


但し、ミスをしないことがどうでもよいと言っているわけではない。健康や生命に重大な影響を及ぼすようなミス、会社の信用に深刻な影響を及ぼすようなミスは絶対に避けなくてはならない。こういうミスについては撲滅すべくしっかりと対策する必要がある。しかし、口やかましくそればかりを頭ごなしに求めていくと、受け手は固定観念の罠に陥ってしまい「仕事の目的がミスをしないこと」にすり替わってしまう危険があるということだ。

従って、例えば「安全第一」「作業ミスは命取り」と百万遍繰り返すなら、それと同じくらい否それ以上に「目的はなんだったか?」「目指しているあるべき姿はどんなだったか?」と繰り返し質問し、訴えて行かなくてはならない。


人間とはことほど左様に手間のかかる、弱くて、情けなくて、だらしのない生き物なのだ。人間を知り、知るが故に対策をする。これが人の上に立つ者の大きな使命の一つである。



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設問45.[ 2016.07.21. 11:08 UP ]


正答:[×]


設問系統:根本価値観Ⅰ「組織生成論(機能型組織と共同体型組織の価値基準の違い)」
        根本価値観Ⅲ「企業組織の目標と方針の連鎖」


根拠・・・・・・

企業組織においては、「意思決定はトップダウン」が基本である。企業が目標を設定するのも一つの意思決定であるから、当然の如くそれは「トップダウンが基本」であり、つまり「目標は(上位から)割り振られる」のが基本である。

しかし設問41.の解説にもある通り、教育目的の応用編としては「目標を下位者に設定させる」「事業計画を下位者に策定させる」、つまり設問文にある「自主設定」させる場合もあるのだ。

ものごとにおいて「まずありき」はなにか? それは基本である。まず基本があって、次に応用がある。

ならば、企業の目標設定においては、まず「(上位から)割り振られる」ことがありきであって、当然この価値観が優先されなくてはならない。その上で、この価値観を尊重しながら、時に応用編として教育目的の自主設定も「あり」という考えが正しい。

またその場合、気を付けなくてはならないのは、いくら応用編として自主設定で「あり」であっても、その際尊重されるのは「上意下達」の価値観であるから、形式は自主設定というスタイルをとってはいるが、上意によって教育が入るという点である。上意を無視した手放しでの自主設定はあり得ないのだ。教育の一環として再設定や策定し直しが求められることも往々あるのである。これは設問41.の解説の通りだ。

さて、当該設問文では「組織の目標値は社員が自主設定すべきである」としている。前提を述べずに「~すべき」としているのは、つまりそれが基本であることを示唆している。基本やいかに。基本は自主設定ではなく、上位から割り振られることなのだから、この設問は「×」という判定になる。

また「×」判定の根拠はそれだけではない。次に続く文章には「方策については、上級上司の指示に従って立案するのが望ましい」とある。これも間違いだ。企業組織の根本価値観Ⅲ「企業組織の目標と方針の連鎖」セッションにおける一連の学習では「方策は目標を割り振られた本人自らが考える」ことが基本であるとしている。考える能力に乏しい或いはどうしても思いつかない場合に限って、応用編として指示を仰ぐ場合もあるだけだ。

但し、いくら自分で考えた方策であっても、上司の任務遂行の一部を代行する位置づけが部下の任務遂行であるから、これを勝手に行ってはいけない。必ず事前に上司に対して方策を提案し、承認を得ておかなくてはならない。



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設問44.[ 2016.07.21. 09:08 UP ]


正答:[×]


設問系統:リーダーシップ論


根拠・・・・・・

設問文にある「社員に企業目標達成のために十分な力を発揮させるためには」という前提であるが、これはタイミング的な観点で「いつ」を指すのか? ・・・月末か? ・・・期末か? ・・・未達が見込まれるときか? ・・・問題が予見される場合か? ・・・否。「いつでも」「年がら年中」である。

ということは、設問文は次のように読み替えることができる。「企業は常に社員を指示命令で緻密に統制したり、強制したりする必要がある」。

さて、これに対する判定はもちろん「×」であり、その根拠は「リーダーシップ論」に求められる。リーダーシップ論では「リーダーシップスタイルはT.P.O.に応じて積極的に変化させることがの望ましい」とされているからだ。常に緻密に統制、強制するということは、それはリーダーシップスタイルの変化の必然性を否定していることになる。よって「×」なのだ。

「企業は場合によっては、社員を指示命令で緻密に統制したり、強制したりする必要もある」という文章なら正しい。そしてその「場合」とはいかなるものなのか? それは大きな直面する問題に臨んでメンバーの習熟度や成熟度が浅い場合とか、経験の浅い者に一定以上のリスクが伴うような業務をさせる場合などである。

それ以外の場合では、必ずしもこのような鬼軍曹スタイルのリーダーシップが必要とは限らない。

考え正誤チェックを「〇」判定するには、リーダーシップスタイル変化の重要性に加え、どんな場合に鬼軍曹スタイルのリーダーシップが限定的に有効であるかが明示されていなければならない。「必ずしも必要とは限らない」というような短絡的な根拠だけなら、それは考え方が甘い或いは論拠が過ぎて不十分。よって「×」。



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設問42.[ 2016.07.21. 08:39 UP ]


正答:[×]


設問系統:リーダーシップ論
       目標達成管理論(注意すべき目的の特性)
       自己成長及び部下並びに配下指導育成論(固定観念の罠)


根拠・・・・・・

常に「好かれよう」「好かれよう」と立ち居振る舞っていれば、当然、リーダーシップのスタイルは人間志向が高く業務志向の弱いスタイル(リーダーシップマトリクスの左上領域)に偏る。リーダーシップスタイルの偏りは企図した影響を歪曲させる。例えば上司がこのスタイルでばかり部下に接していると、部下は一所懸命に働かなくなる。頑張っても頑張らなくても、結果が出ても出なくても「許す」「かばう」「同調する」「同情する」なら、部下にしてみれば頑張るだけ損という気持ちになる。確かに、時に許すこともかばうことも必要な場合もある。そういう場合は、仁をもって庇護し、憐みをかけてやれば好いて、懐いてもくれよう。しかしそのような調子でばかりで接していると、返って相手を堕落させることになる。リーダーシップ論では「リーダーシップスタイルは積極的に変化させるべき」としていることを思い出されたい。この観点から設問は「×」と判定される。

また、目標達成管理論の観点からも「×」判定を説明することができる。「注意すべき目的の特性」として「目的はすり替わりやすく見失いやすい」ものであることが挙げられている。然るに常に「好かれる」
ことを第一基準に考えていれば、当然、「仕事の目的が好かれることにすり替わりやすくなる」のである。すると厳しい指導や指摘、叱咤激励が必要な場合でも「好かれなければならない」という無意識下での目的意識により、それができないようになっていく。たまに、厳しさが全くなく、御用聞きのようにへらへらと愛想笑いを浮かべながら部下に接している管理者がいるが、この罠に陥っているのであろう。目的は本人の自覚がないままにすり替わっていく。そしてすり替わってしまった目的を当たり前のように追究していく。要注意だ。

追補。いつもいつも同じようなことを考えたり、言ったりしたりしていると、そういうものの考え方、そういう言動が自らの内で不作為の掟となってしまい、結果、自らの発想、言動をある一定に縛り付けてしまう。そしてそれ以外の考え方や言動が選択肢になくなるので、そういう発想や立ち居振る舞いを提言されても、それを受け付けなくなっていく。これ「固定観念の罠」の始まりである。「好かれること」が知らず知らずのうちに目的化し、且つそれ以外の選択肢がなくなってこれに固執し、仕事のあるべき姿が失われ、固定観念の罠に陥ってくのなら、それは悲惨である。しかも、それはよくある話でもあるのだ。

「固定観念の罠」は「自己成長及び部下並びに配下指導育成論」の各論の一つであるから、つまりは「リーダーシップ論」の観点からも、「目標達成管理論」の観点からも、「自己成長及び部下並びに配下指導育成論」の観点からも「×」ということになる。圧倒的に「×」、超「×」、ウルトラ「×」、これでもかというくらいに「×」、とんでもなく「×」、スペシャル「×」な設問なのである。果たしてこの3つの観点で「×」判定の根拠を明示できたであろうか。正しい価値観を持って働いていると言うのなら、設問文を読んだ刹那、3つの観点から完結明瞭に「×」判定の根拠が述べられなくてはならない。

価値観とは思考の結論ではなく前提である。考えてそういう結論に達するというようなレベルのものではない。直感的に捉え、明示されるものでなくてはならない。



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設問41.[ 2016.07.21. 07:47 UP ]


正答:[×]


設問系統:根本価値観Ⅲ「企業組織の目標と方針の連鎖」


根拠・・・・・・

組織階層の下方から上方へと目標を積み上げる体系ならば、それは機能型組織のそれではなく共同体型組織の体系である。

大手企業では、例えば係長クラスの者が目標設定をし最小単位の事業計画を策定、それらを統轄する立場の課長クラスが配下係長クラスの目標や事業計画をとりまとめて課の目標を設定、事業計画をつくりあげる。そして更にそれを統轄する部長クラスが配下課長クラスの目標や事業計画をとりまとめ、更にそれらを統括する事業部長クラスが配下部長クラスの目標や事業計画をとりまとめ事業部の目標設定や事業計画を策定する・・・というような手順を踏むケースが多い。

これらは一見、目標を下から上に積み上げていくような錯覚をもたらすが、しかし実際はそうではない。配下組織の目標設定や事業計画が甘かったり、期待水準以下であったりすれば、当然指導や指示により目標は再設定、事業計画も策定し直しとなる。つまり単純に下位組織の言い分を足し算して上位組織の目標がつくられるわけではないのである。最終的には上位組織や上位者の意に沿った形の目標設定や事業計画に落ち着くのである。

そうであるなら、いっそのこと最初から上位者より「この数字でやれ」「こういう計画で実践せよ」とストレートに指示命令をすればいいのではないか? そんな疑問が生じる。

それに対する答えはこうだ。なぜ下位組織や下位者に目標や事業計画を設定、策定させるのか? それは「教育」のためである。

目標を設定したり事業計画を策定するとなれば、相応の専門知識を持っていなくてはならない。そして言うまでもなく会社の現状や課題、方向性、或いは業界環境の推移、社会情勢や景気の動向、顧客の動向、預かる組織内での個々のメンバーの動向などに明るくなければならない。相応の見識が求められるのだ。また自分で設定、策定した目標や事業計画ならば、機械的に与えられたそれらに対する達成意欲、責任感に比べて、遥かに高く強いものが期待できるのも当たり前の話である。

然るに敢えてこれを行わせることによって、そういった一連の知見を高めさせ、意欲や責任感を強化させようとしているのである。そういう教育なのである。

上の立場の者が現場をよく解っていないから、下の立場の者に頼って目標設定や計画策定をしているのではないのである。教育のために下位者に目標設定や計画策定を行わせているのである。

設定、策定した目標や事業計画が上位者によって一発承認されたなら、それは教育が充分であるという証拠。否決され、再設定や策定し直しが求められたなら、それは教育が不充分であるということだ。決して意地悪されているのではないのだ。

それが解っていないと、「上の人間は数字が解ってない。だから俺たちが数字をつくってやっている。それなのに、『もっとやれ』『これじゃ少ない』など文句ばかり言う。面白くない」などとふて腐れ、せっかくの教育機会が怨嗟渦巻く恨み節で彩られ、組織の上下関係に軋轢が生じ兼ねない。

目標は上から下へ割り振られるのが基本。しかし応用編として「教育として目標を設定させたり事業計画を立てさせたりすることもある」のだ。

どっちが基本で、どっちが応用か。それが解っていないと頓珍漢な感情と言動が生じる。要注意。


追補。設問文にある「上から下へ降ろすのは専制的マネジメントとして否定されている」という文章についての見解は次の通り。「上から下へ降ろすのは専制的マネジメントとして肯定されている」のである。トップダウンで意思決定が行われるのは、一見専制的だが、しかし対価として賃金を獲得している以上やむを得ない、否当然である。



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設問40.[ 2016.07.21. 06:23 UP ]


正答:[×]


設問系統:問題解決論


根拠・・・・・・

問題解決能力は総合力である。「おぎゃあ」と生まれてから今日に至るまでに身に付けた、ありとあらゆる能力を結集させなくては、到底、世の中の一部である「現状」を変化させることなどできない。しかもただ変化させるのではない。「現状」よりも高いレベルにある「あるべき姿」に向けて変化、近づけていかなくてはならないのである。問題解決は短絡的少数の部分的な力に依拠して為るものではない。

設問では短絡的少数の部分的な力(経験・勘・決断力)が重要であるとしているので「×」。

因みに直面する問題を解決するときに「先ずもって頼りになる三本柱」として経験・勘・決断力は重要視されるが、しかし勿論これ以外の力も必要である。そして最終的には問題解決に向けて関係者を巻き込んでいかなくてはならないのだからコミュニケーション力、動機づけ力、リーダーシップ力、説得力なども大いに必要とされる。



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設問37.[ 2016.07.21. 06:07 UP ]


正答:[×]


設問系統:目標達成管理論


根拠・・・・・・

設問21.の根拠と同義である。目標が無いということは、つまり中間ゴールが無いということ。あるのは遥か彼方にある最終到達地点(=目的)とそこに向かう一本の長く過酷な坂道だけ。これでは弱くて、情けなくて、だらしのない、放っておけば低い方へ転がっていきやすい人間は、その過酷な坂道を登り続けることはできない。早晩息切れしてしまう。或いはスタートを切ることができず、その場に立ちすくんでしまう。停滞である。

例え不正確であったとしても、最終到達地点よりもだいぶ手前に中間ゴールが見えていれば、弱くて情けない人間であったとしても、気が遠くなるばかりではない。「とりあえずあの辺に辿り着けばいいんだな」と当面のタスク(行動)とある程度の覇気が確保できる。そして少なくともスタートは切れる。

基本的に「目標は目標であるが故に絶対」であり、修正は不可であるが、このような場合、応用編として坂道を登りながら微調整をしていくということもあり得る。

もちろん当初から整合性のとれた、正確な目標設定であるべきだが、しかし無い方がましというのは極論。不正解。

人間は最終的に感情で動く生き物であることをよくよく理解すべき、そして対策を誤ってはいけない。


因み全国区の上場大手企業などでは売り上げや取扱数、利益などを上方修正したり下方修正したりする場合があり、それをプレス発表するが、これが組織論理として基本であると勘違いしてはいけない。これはあくまでも応用編であり、先にも触れたとおり「目標は目標であるが故に絶対」なのだ。

ではなぜ大手企業は目標修正をプレス発表するのか。それは大手であるが故に世間に与える影響が大きいからである。上方修正することによって取引先に例えば部分納入の準備を進めて貰ったり、販売促進の準備をしてもらったりしなければならない。逆に下方修正することによって取引先に取引枠縮小に耐えうる準備をしてもらわなければならない。なんら予告なくいきなり取引枠を縮小したら、財務体力のない中小企業であったなら、場合によっては倒産の危機にさえ直面する。勿論それは株主に対しても似たような意味合いを持つ。

つまり上場大手企業などで目標修正を広く世に発信するのは、良しにつけ悪しきにつけ広く世の中に影響があるが故に、その社会的責任を果たさなくてはならないからなのだ。このような理由で「目標は目標であるが故に絶対」という基本を覆して応用を展開するのである。

しかしそういった上場大手企業などでも、社内的には基本を大切にしているということは言うまでもない。組織の中で優先される価値観は、基本である「目標は目標であるが故に絶対」なのである。



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設問34.[ 2016.07.11. 16:35 UP ][ 2016.07.21. 05:30 一部修正 ]


正答:[〇]


設問系統:リーダーシップ論


根拠・・・・・・

「責任」そのものと「責任感」は別モノ。規程や規則で責任、権限を明確化しても、責任感の弱い者にとってそれらは理解はできても、なにがなんでも責任を全うしようという気迫にまでは及ばない。逆に責任感の強い者は、規定や規則で明文化しなくても自らその責任範囲を拡大解釈し、それを全うせんと心に誓い、真摯にそれに取り組むものである。

さて、では責任感を増幅、強化するためにはどうしたら良いか。それは真の意味でリーダーシップを発揮し続けることである。

リーダーシップには責任がついて廻る。局面に応じてどういうリーダースタイルを採択するのかは、前後のスタイルや局面を包括する出来事のスパンやバイオリズムにもよる。それらの見方やスタイル選択はリーダーシップを発揮せんとする本人次第である。人によって事象の推移をどう観るかは異なるのだからこれは致し方ない。つまりリーダーシップスタイルの選択は本人の自由なのだ。

しかしどのようなスタイルを選択したとしても、その結果、相手や周囲、職場やお客様がどういう反応を示すかについては、すべからく責任を持たなくてはならない。

責任を持つならば、当然責任もとらなくてはならいが、責任をとるとは、「言ったこと」及び「言わなかったこと」、「やったこと」及び「やらなかったこと」に対する評価、処遇を無条件で受け入れる義務である。

自分の言動の逐一について、その結果に責任を持つ癖(心的反応パターン)をつけ、然るに言動の結果を常に注意深く観察、分析し続け、同時に「私にその原因がある」と認識し続け、故に言いっぱなしにせず、やりっぱなしにせず、いかる場合でも更なる状況の好転に向けて次なるスタイル変化を画策し続ける・・・そのような訓練の中で責任感は増幅するものである。即ち真の意味でリーダーシップを発揮し続ける中でこそ責任感が醸成されるということである。



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設問33.[ 2016.07.11. 00:35 UP ][ 2016.07.21. 06:33 一部修正 ]


正答:[×]


設問系統:根本価値観Ⅱ「社員に課せられた4つの役割と責任及び機能構図」
        自己成長並びに部下及び配下指導育成論


根拠・・・・・・

企業組織は、企業組織全体の成果を最大限に高めるためにつくられている。当然の話である。

もし個々のメンバーの成果を最大限にあげるためにつくられているのなら、個々のメンバーは常に最大限の成果をあげていることになる。そうだとするならば企業組織で仕事をしている限りは自己成長の必然性などなくなる。

なぜなら、そのような前提で考えるなら、企業がメンバーに与える仕事は年齢と共にどんどんと高度化していくだろうし、教育も含めてその仕事を完遂させる仕組みやお膳立ても企業が整え続けていくことになろうから、個々のメンバーは与えられた仕事をやっていれば、年齢やキャリアに応じて常にこれ以上ない、最高の成果をあげ続けていくこととなる。つまり仕事をしていれば自動的に成長していくという論法なのだ。

しかし実際はそうではない。思うように成長しない者もたくさんいるし、停滞している者さえ珍しくない。だが、決して仕事をしていないわけでもない。

つまり与えられた仕事をしているだけでは成長しないという事実の裏付けがそこにあるのだ。

自己成長並びに部下及び配下の指導育成という役割と責任が、社員に課せられた4つの役割と責任及び機能構図の中に明記されている所以はそこにある。仕事をしているだけで自動的に成長するのなら、わざわざ「役割と責任」として明記する必要もなかろう。


※[ 企業組織論 - 自己成長並びに部下及び配下指導育成論 ]テキストの5ページに以下を記入しておい
    て下さい。
 

 ● 1つめの巻紙オブジェクトへの虫食い文章(アンダーライン部が虫食い部に入る言葉)

   企業組織は、常に企業組織 全体 の成果を最大限に高めるために企図、構成されている。

   従って企業組織の中で与えられた 一義 的な役割,責任を果たしているだけでは 必ずしも 社
   員一人一人が最大限の成果をあげている とは言い切れない。まだまだ 余力 を残している者
   も多い筈。

    余力 を残しながら任務遂行を繰り返していくと、それは 一生懸命 の 精励 とは程遠く、早晩
    マンネリ化 し 堕落 する。


 ● 2つめの巻紙オブジェクトへの虫食い文章(アンダーライン部が虫食い部に入る言葉)

   社員一人一人が自己成長を明確に 意図 、 決意 し、これに向かって 不断 の取り組みを繰り
   返す先に社員の成長  そして 企業組織 の成長がある。

   ただ 与えられた業務を遂行しているだけでは 成長 はない。

   だからこそ 社員の四つの役割と責任の一つに「自己成長及び部下指導育成」が明確に謳わ
   れているのだ

   与えられた業務を行っているだけで成長するならば「自己成長及び部下指導育成」を敢えて
   謳う必要はない。 



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設問32.[ 2016.07.10. 23:04 UP ]


正答:[×]


設問系統:問題解決論


根拠・・・・・・

問題とは「あるべき姿」と「現状」のギャップを言う。従って「あるべき姿」を基準とし、「現状」がここからマイナス方向に逸脱しているのなら、即ちそれは問題である。つまり設問文章の「問題とは基準からの逸脱という面を持っている」の一文は正しい。

しかし、業務における全ての基準、つまり全ての「あるべき姿」が文書化されているかと言ったら、そうではない。時代の推移、世間をにぎわす事件や事故といった社会背景などによって、都度「あるべき姿」は移り変わるからだ。

即ち社会の推移に対する感性が鈍い者は問題が見えにくく、従って問題に直面する確率が高まる。危険な存在である。



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設問21.[ 2016.07.10. 22:38 UP ]


正答:[〇]


設問系統:目標達成管理論


根拠・・・・・・

「できるだけやる」というのはつまり「目標が明確ではない」ことを意味している。逆に「これだけやる」というのは「これだけ」という「具体的な目標がある」ことを意味する。

目標は弱くて、情けなくて、だらしのない、放っておけば低い方へと転がっていきやすいどうしようもない生命体である人間を、設定段階と達成段階の2度に亘って「その気」にさせてくれるありがたい指標である。

目標が明確である場合とそうでない場合とでは、つまり「その気」になれるか、なれないかの違いが生じ、結果、必ず達成できるかどうかは別の話として、「その気」になれる方が達成の確率又は達成に向かった進捗度合いが高まるであろうことは言うまでもない。人間は最終的に感情で動く生き物なのだから。

一方で、「できるだけやる」ということならば「これだけ」を上回って「できるだけ」やる可能性もある筈だという反論もあろう。確かにそういうこともあるかも知れない。その「これだけ」がどれだけなのか、またその難易度にも拠るだろう。しかし確率論として考えた場合、あらゆる「これだけ」を上回る「できるだけ」を結果させる確率と、そこまで至らない「できるだけ」を結果させる確率を比べた場合、圧倒的にそこまで至らない確率の方が高い。なぜなら、人間は弱くて、情けなくて、だらしのない、放っておいたら低い方へと転がっていきやすいどうしようもない生命体であるからだ。目標がないということは即ち「放っておく」ということなのだ。



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設問16.[ 2016.07.06. 12:10 UP ]


正答:[×]


設問系統:根本価値観Ⅱ「社員に課せられた4つの役割と責任及び機能構図」
       問題解決論


根拠・・・・・・

全社員には「4つの役割と責任」が課せられている。それら4つの役割と責任の一つが「問題解決」である。その全社員という概念の中には、もちろん部下も含まれるので、部下が問題解決を主体的に行うことは"是"である。管理者自らがこれを実施せず、部下に行わせるということは、即ち部下に主体的に問題解決をさせることなのだから、むしろ「望ましい姿」でさえある。

但し、報・連・相は忘れてはならないし、部下にその問題解決を任せるに相応しい能力がないときは任せてはならない。リーダーシップのスタイルはT.P.O.に応じて千変万化せねばならないのだから、これらは言うまでもない。

基本は任せる。しかし部下の能力が不足している時或いは切羽詰まった状況(直面する問題)の時は、これ"応用編"として管理者自らが直接任に当たる。そして任に当たりながら、その後ろ姿で部下に問題解決の仕方を伝授、指導する。・・・これが正しい考え方だ。

そもそも、管理者と部下とでは基本的な問題解決の領域が違う。職場の中で起こった問題は職場メンバー(部下)が問題解決を行うべき領域で、管理者は職場と職場の外の世界を結ぶ接点領域で問題解決を行っていかなければならない。

にも拘わらず、管理者が職場内の問題解決に首を突っ込んでばかりいると、管理者が本来実施しなければならない領域での問題解決に手が廻らなくなり、その管理者が預かる組織は、その組織が所属するより大きな組織の中で力を失っていくことになりかねない。結果、その組織は雑用ばかり押し付けられ、評価されにくい、困ったことがあっても他の組織から支援を取り付けにくい、職場メンバーにとって働き甲斐のない職場となってしまう可能性が大なのである。

さて、「社員に課せられた4つの役割と責任及び機能構図」の学習を思い出して頂きたい。仕事は一挙両得、三得、いや五得、十得と絶妙の欲をかいて行うべきであると学んだ。つまり生産性の向上である。部下に「問題解決」を任せることで、「部下の指導育成」ができるなら、同時にそれは管理者としての「自己成長」でもあり、これ一挙両得。またそのことによって「目標達成管理」がやりやすくなるのであれば一挙三得。加えて工夫次第では、そのことによって同時に「職場活性」も可能であり、これで一挙四得。部下の指導育成」もできてしまう。こういった仕事ぶりとなるなら、それは管理者として実にクリエイティブな仕事の進め方と言える。



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設問14.[ 2016.07.06. 01:09 UP ]


正答:[×]


設問系統:リーダーシップ論


根拠・・・・・・

人間志向性と業務志向性をそれぞれ縦・横軸にとった「リーダーシップマトリクス」を思い出して頂きたい。これの左下の領域は「敢えてなにもしない」リーダーシップスタイルであった。

しかしそれは決して無責任なスタイルではない。リーダーシップが「4つの役割と責任を果たすための力」である以上、その効果如何によっては4つの役割と責任が充分に或いは全く果たせないということもあるわけだが、その場合、「役割と責任」が果たせないのだから「責任」をとらなければならない。

そう。リーダーシップが単なる性格特性ではない以上、その発揮には常に責任がついて回るのである。

この考え方を踏まえて改めて4つの領域を確認してみると、実は「敢えてなにもしないリーダーシップスタイル」は、相当の葛藤を伴うスタイルであることがわかる。

通常の人間心理としては「責任を追求されるのが嫌だから」、なにもしていなかったことを避けたい。だから、せっかく相手の決断を引き出したり、気づきや自立を促したりする好機にも関わらず、余計ななにかを言ったり、したりしてしまいがち。結果、納得の段階を経ずに説得、相手の覚悟が不十分なままことに及んで後で言を翻されたり、或いは相手の自立を妨げたりして人間関係を悪化させるケースが多い。

ここは敢えてなにもしない。言わない。しかしそのことによって起こったいかなる結末にも、全て自分が責任を負う。・・・そういう並々ならぬ覚悟が必要なスタイル。それが「敢えてなにもしない」スタイルなのである。

表面的な言動こそ「なにもしない」わけだから「消極」と誤解をされやすいが、しかし真のリーダーシップとしてこのスタイルが選択されているならば、それは上記の覚悟に至るまでの様々な葛藤を乗り越えてのことなので、また未来の万一に及んでは積極的に責任を負うわけだから、決して消極的なスタイルとは言えないのである。



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